宮城県フェンシング協会発足

昭和252月,宮城県フェンシング協会は発足しました。その発足に尽力を尽くされたのが,中嶋英一氏であります。中嶋英一氏は自伝「私のフェンシング人生」で,発足当時のご苦労が記されております。

フェンシングは、森寅雄先生から学んだ人間形成のための道であり、自分で納得のいくまで求めたかったのです。先ずとりかかったのが、宮城県にフェンシング協会をつくる仕事でした。故郷、宮城県に帰り、県の教育委員会、各新聞社を訪ねました。全く知らない方に、フェンシング競技なるものを、ご説明申し上げるのですから、私は真剣でした。今考えますと、忙しい仕事の時間を割いて聞いて下さったわけですから、或いはご迷惑だったかも知れません。このようにして歩きまわっている時、県の教育委員会でばったり、私の築館中学時代の陸上競技部の思師、片寄政直先生にお会いしたのです。実の助けと思いました。そこで、早速、フェンシング協会をわが宮城県に設立するべく運動中であることをご説明申し上げたのです。そしてご協力を強くお願い申し上げたのでした。

先生は各方面の方々にお話をして下さり、話をすすめ易いようにして下さいました。そして皆様のご助力によって、昭和252月ようやく宮城県フェンシング協会の設立にこぎつけたのであります。その当時の夕刊東北新聞社224日の記事には東北のスポーツに最適・フェンシングの名手中島君語る。米では婦人の聞にも」の3段の見出しをつけ、6段にわたって掲載してくれました。あの時は本当に有難いと思った事をはっきり記情しております。「県フェンシング協会の発足にあたり、22日本社を訪れた栗原郡若柳町新町八中嶋英君は明大法学部、フェンシング部副将で、学生フェンシング界のナンバーワン、23,24年度国体フェンシングのフルーレ優勝者、24年年度全日本フェンシング選手権大会第2位の名手だが、日本のフェンシング界の現況や将来の抱負を次の如く語った。

事務局は泉保健体育課内におかれて発足したのであります。全国でも珍しい地方のフェンシング協会は、ただちに日本フェンシング協会に加盟、活動を始めることになったのでありました

昭和25年の秋、宮城県フェンシング協会主催の第一回実技講習会が、講師として小林政光君と私が参加、上杉山通小学校で聞かれました。30名の皆さんが集まってくれました。渡辺公夫さん、荘司雄三さん、横沢勲さん、阿部さん、千葉卓朗さん、石橋和夫さん、佐藤美代子さん等々の方でした。

この講習会は、剣、マスク、ユニホーム等は、後で準備すればよい。先ず始めようという事で始めたものですから、今では考えられないような事ばりでした。剣の代りに竹、ユニホーム代りに上衣を,前後を取替えて着たりと、各々が工夫をこらして参加してくれました。みみず腫れや、すり傷も何のその、私共について来てくれました。皆さん若い方々ばかりですから、笑い声の絶えない講習会でありました。この一週間の講習会のあと、毎週合同練習会をしようという事になり私も毎週土曜日にはフェンシングバッグを担いで仙台通いをすることになりました。

「私のフェンシング人生」平成183月発行より

「私のフェンシング人生」